どうも、ひろせんです。
オリンピックもフィギュアの羽生選手やスピードスケートの小平選手が金メダルを取り、盛り上がっている。
俺もブログの更新をサボってオリンピック選手を応援しているが、この一週間で少しばかり心境の変化があったので、記事にしようと思う。
「配当生活を目指す」ことを辞めた理由
オリンピックを見ていたのは事実だが、一方でこの一週間、いくつかの本を読んでいた。
前に紹介した「お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)」からも影響を受けたが、その後で読んだ落合陽一の「これからの世界をつくる仲間たちへ
」にも非常に大きい影響を受けた。
何について影響を受けたか。
それは、「お金と価値」についてである。
自分でも仮想通貨を扱うようになって以来、お金とは何なのか、価値とはどういうものなのかという事について色々と考えるようになったと思う。
日本株投資を経て、米国株投資を行っていた時にはあまり考えていなかった事だ。
それまで年率やリターン、PERやROEなど、いくつかの指標を参考にしながら「いかに資産を増やしていくか」という事は考えたことがある。
しかしそれは数字の上の話であり、「お金とはそもそも何なのか」という事について考えたことは無かった。
お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)にもこれからの世界をつくる仲間たちへ
にも共通して書かれている事だが、我々の扱っているお金を取り巻く環境は日々変化している。
今の「お金」は10年前の「お金」とも違うし、20年前の「お金」とはさらに違う。
それは稼ぎ方の面だったり、持つ価値から見た面だったり、色々な意味でだ。
俺はそのお金について、一面的な見方しかしてこなかったと思う。
このブログの立ち上げの動機にもなっていた「配当生活を目指す」というのが、最たるものかもしれない。
俺はお金=日本円の数値としてしか見てこなかった。
また、稼ぎ方も自分で何とかして動き、サラリーやブログ収入などで得る方法しか考えてこなかった。
だからこそ、資産から生み出されるモノ=配当金という図式が成り立っていたし、それによって生活できる水準になるまで資産を増加させることばかりを目指していたのだ。
しかしそれはもうかなり昔の時代の考え方だという事を、これらの本を読むことによって実感した。
今は資金を調達する方法が多様化しており、個人がお金を得る方法はいくらでもある。
そしてその方法の根幹になる部分は、「個人の価値を増やす」ことである。
「個人の価値を増やす」というと、どんなイメージだろうか。
俺と同じサラリーマンだったら、会社で推奨している資格を取り、資格手当を狙うなんていうのをイメージしたかもしれない。
まぁそれも一種の「価値を増やす行動」ではあるかもしれないが、俺がここで言いたいのは必ずしも収入に直結する価値ではない。
例えば金メダルを獲った羽生結弦選手を例に出したとしよう。
俺は羽生選手の大ファンだが、彼は非常にアーティスティックなスケーターで、見る者を魅了する。
ジャンプは神業のように美しいし、ステップやスピンも別次元の完成度だ。
表情からは気迫が伝わってくるし、指先まで神経の通った演技をしている。
それは何度見ても「もう一度見たくなる」演技であり、見る者にとって、その時間は非常に価値のあるモノだとも言えよう。
その羽生選手が一時的に不調に陥り、スポンサー契約を切られてしまったとする。
しかし彼はまだまだスケートへの情熱を持ち続け、「4回転アクセルを成功させ、最高の演技をするために練習する資金を集めたい」と願っているとする。
一昔前なら、マネージャーや後援者などがスポンサー企業を回り、なんとかスポンサーについてもらえないかと依頼するしかないだろう。
幸運であれば、羽生選手を応援する資産家や企業などが名乗り出ることもあるかもしれないが…それが無い場合はひたすら駆けずり回るしかない。
それは必要となる大金を効率よく集めるために必須の方法であったし、小額を沢山のスポンサーから集めるというのは現実的でなかった面があるからだろう。
逆に言えば、羽生選手を応援する人間は多く居ても、なかなか資金を提供する立場に立つことは難しかったかもしれない。
それは「羽生選手に資金を提供する方法が見つからない」という理由によるところが大きいだろう。
個人に羽生選手陣営から声がかかる事はほぼ有り得ないだろうし、一般人の提供できる資金額は大きくない。
小額なら…と思っても、「羽生結弦募金」なんて活動でもやっていなければ参加する事は難しいだろう。
しかし今は違う。
例えばTwitterやFBなどで羽生選手が資金提供を呼びかけ、仮想通貨などの資金提供経路を用意する。
具体的に言えば、「次の試合で4回転アクセルを成功させるため、このアドレス宛に資金を送って欲しい」という内容を発信する。
俺を含めた多くのファンは、この声に応えるだろう。
俺一人では千円分くらいが関の山かもしれないが、今や世界中にいる羽生ファンが小額ずつ資金を提供する事が可能になっている。
1万人でも1千万円、羽生選手のファンはもっと多いだろうから、1億、ひょっとすると10億円以上の資金が集まる事だって考えられる。
その動機は「羽生選手の素晴らしい演技や、実戦での4回転アクセルが見てみたい」というものであり、決して「羽生選手に資金提供する事で自分が儲けよう」というものではないはずだ。
そしてこの「素晴らしい演技を見たい」という動機を起こさせることこそ、「個人の価値」なのである。
ここで注目すべきは、「羽生選手が練習する事」自体が「お金を生み出すこと」に直結しているわけではないことだ。
羽生選手はスケートを練習することによって自分の価値を増やしており、その価値を必要な時にお金に換えているだけなのである。
つまり、多くの人間に価値を認められる人間になる事こそが、今の時代最優先でやるべきことだとも言えよう。
お金(日本円)はその価値に付随して来るものに過ぎない。
こう考えると、自分の価値を増やすことをせずにお金だけ増やそうとする行為は、今の流れに逆らっているだろう。
嫌々ながらサラリーマンを続け、給料をコツコツと株式に替えて配当金を積み上げる。
自分が提供するとしたら、時間だけだろう。後は多少の業務向上への努力だろうか。
この方法では「個人の価値」というものはほとんど増えていない。
逆に個人の人生に割り振られた時間を浪費している点で、どちらかと言えば価値は減っていると言ってもいいだろう。
そう考えると、配当生活を目指すというのは愚かな目標のように感じる。
結果的に配当生活が手に入る事はあっても、それ自体を目標にするのは非常に遠回りなのではないだろうか。
以上が「配当生活を目指す」事を目標にするのを辞めた理由だ。
まぁ辞めると言っても株式投資も節約も仮想通貨投資も続けるので、やる事は変わりない。
しかし俺の中では大きな意味の変化になったと思う。
しばらくはこのスタンスで歩んでいく事にする。